2017/02/01

手綱引かれる南アジア(下)アフガニスタン市場アクセスと強まる中露の包囲網

 昨年12月、インドのモディ首相とアフガニスタンのガニ大統領による二者会談が行われ、両国は航空貨物の輸送協定の締結に向けて大筋合意に至りました。アフガニスタンは主に軍事機器の輸入促進と、関連し軍事演習の強化による国内の治安改善を目的とし、インドにとってはエネルギー豊富な中央アジアに隣接するアフガニスタンとの外交関係を良好にし、パキスタンを迂回したアフガニスタンの市場アクセスのルートの確保を目的とするものとなります。強い緊張状態にある印パの国境沿いを牽制する動きでありながらも、トルクメニスタンや水力発電所が豊富なタジキスタン等、人口増大による絶対的なエネルギー不足に陥るインドにとっては、中央アジアの資源確保及びそのためのアフガニスタンへの市場アクセスは至上命題になっており、既に20億ドルを同国の経済復興を目的としたインフラ開発に投じているなか、インドのアフガニスタンに対する投資は今後加速するものと予想されています。

トルクメニスタンを起点にした各種パイプライン図
参照:http://www.iranreview.org/content/Documents/TAPI_Pipeline.htm

 またこの二国間による航空貨物輸送協定は昨年5月にイラン、インド、アフガニスタンの3ヶ国間で締結されたイラン・チャバハール港のインドに対する使用許可及びインド資本による同国のインフラ開発の協定を補足するものとなります。インドのイランに対する積極投資は経済特区SEZの設置と合わせたチャバハール港の港湾開発のみならず、イランの南北1,300kmを鉄道で結ぶ「南北経済回廊」を含むものとなり、中国の「一帯一路」構想に対抗するものとなります。合わせてインドはイランの石油・天然ガス分野に対する大型投資を行う旨を発表し、また、昨年末においては印モディ首相による中央アジアツアーが実施され、キルギスタンや上述タジキスタン等に対し、投資促進含む経済協力や安全保障協力の協定が締結され、インドにとって戦略地政学上、重視するアフガニスタン及び中央アジアとの関係を深める動きが始まっています。

インドのイランにおける「南北経済回廊」概要
参照:http://www.livemint.com/Politics/pI08kJsLuZLNFj0H8rW04N/India-commits-huge-investment-in-Chabahar.html

インドがアフガニスタン市場アクセスを国家戦略としているのは、急増するエネルギー需要に対するその施策と一貫となります。具体的にはTAPI(TトルクメニスタンAアフガニスタンPパキスタンIインド)の天然ガスの輸送パイプラインの経由地となるアフガニスタンとの外交強化にあり、インドはアフガニスタン、パキスタン以東に位置しているため地政学的な劣勢下にあるなか、2012年にパキスタンとともにトルクメニスタンからの天然ガスのパイプラインの建設計画協定に署名をし、TPCL(TAPI Pipeline Company Limited)と呼ばれる運営会社の設立、並びにトルクメニスタンにある世界2位のガス埋蔵量を誇るガルキニッシュからアフガニスタンを経由し、パキスタンとインドと国境沿いまでの約1,600kmのパイプラインの建設が正式に始まりました。

TAPIプロジェクト図(緑で塗り潰された地域がタリバンの支持基盤となるパシュトゥーン人居住地域)

 2019年に建設終了が予定されているTAPIは、約30年間に渡り、年間ガス輸送能力は330億立方メートルを送る世界最大規模の天然ガスの輸送パイプラインとなり、四カ国間での交渉役をアジア開発銀行ADBが一部担うことで複雑な利害関係を乗り越え、南アジアのエネルギー不足を解消し、地域に平和と安定をもたらすことになるでしょう。

 IPI(IイランPパキスタンIインド)のパイプラインやTUTAP(TトルクメニスタンUウズベキスタンTタジキスタンAアフガニスタンPパキスタン)の電力送電線の建設計画も合わせて進められており、中央アジアからアフガニスタンを経由し輸送されるこれら合同プロジェクトはインドがパキスタンに対して大規模な軍事的攻勢に打ち出ることの出来ない一つの要因となり、中国はその状況下、インドとアフガニスタン、イランの間に位置するパキスタンを「一帯一路」構想における最重要国とすることで、中パ経済回廊CPECを建設し、また永世中立国であるトルクメニスタンをユーラシア経済連合の拡大路線に乗せたいロシアに対し、CPECの出口に当たるパキスタンのグワダル港の共同港湾開発という形で南アジアでのパートナーとして迎え入れました。ロシアはパキスタンのグワダル港以西のインフラ構築を行うことを既に表明しております。


 しかし、この印パによるエネルギー・インフラ構築プロジェクトにも大きな障害が立ちはだかります。それはアフガニスタンの安全保障問題です。19世紀、英国領インド帝国の支配下に置かれた現アフガニスタンは三度に渡る独立戦争を経て、1919年に英国より独立を果たしたものの、その地政学的な要因から他国や多民族から多くの干渉を受けて来ました。20世紀の冷戦時においては、社会主義の拡大を狙う旧ソ連から度重なる侵攻を受け、1979年には軍事介入がされる「アフガニスタン侵攻」が起こります。旧ソ連の撤退以降も内戦が長く続き、タリバンの台頭を許し、1996年には首都カブールを制圧、その後、国土の約9割を掌握しました。

 2001年に起きた米国同時多発テロ以降、米英等による軍事行動が実施され、北部同盟がアフガニスタンを奪還、その後和平プロセスを経て復興が為されています。一方、山岳地帯を中心に引き続きタリバンの活動拠点となり、また、英国からの独立時にアフガニスタンとパキスタンに分断されたパシュトゥーン人の居住地域の政情不安を引き起こし、それら地域を通過するTAPIプロジェクトは厳重な警備のもと慎重にその建設工事がされており、工期に遅れが発生しています。この観点からインドのエネルギー不足は今尚解決しておらず、ロシアに触手し、資源が豊富な中央アジアとの関係を深めるのは当然の動きと言えるでしょう。

中国の新疆ウイグル自治区に隣接するアフガニスタン「ワハーン回廊」
参照元:http://project-himalaya.com/trek-wakhan.html

 中国にとってもアフガニスタンは戦略上重要国家となります。それはアフガニスタン北東部、中国との国境沿いにあるワハーン回廊の治安問題が顕在化しているためです。新疆ウイグル自治区に隣接する同回廊を伝い、イスラム過激派の流入を恐れる中国は経済の安定が治安の正常化をもたらすという概念のもと、アフガニスタンに対する積極的な投資を行い始めました。中印で対立するパキスタンのグワダル港とイランのチャバハール港の港湾開発、そしてそれに基づくCPECを中心とする中国の「一帯一路」構想とインドの「南北経済回廊」の競争は最終的にアフガニスタン経済の安定とその貿易含めた外交関係に大きく依存することになります。


 アフガニスタンの輸入統計を見ると、中国とパキスタンの高い影響力と、また陸路で隣接されていないインドがその経済関係において中パに大きく後塵を拝している状況を伺い知ることが出来ます。輸送量に制限があるため、インドとアフガニスタンの航空貨物輸送協定は貿易関係の大幅な改善に至らず、インドにおけるアフガニスタン市場アクセスは困難を伴っています。また政治的関与も無視することは出来ません。アフガニスタン復興を主導する四カ国の枠組みであるQuadrilateral Coordination Groupは米国、アフガニスタン、パキスタン、中国で構成されており、インドはその主導権さえ握れておりません。

 2016年5月3日のthe Diplomatの記事"Where Does Afghanistan Fit in China’s Belt and Road?"によると、パキスタンと比較すると投資額が小さいものの、今後、中国はアフガニスタンをその「一帯一路」構想に取り込むことを伝えており、経済特区SEZの設置を中心とした経済開発とワハーン回廊を中心としたインフラ開発を行うことで、その経済的影響力を高めて行くことになるでしょう。これら内容を深く分析したものとして、2016年6月9日のthe Diplomatの記事"5 Reasons Gwadar Port Trumps Chabahar"では、アフガニスタン市場アクセスを巡る中国とインドの攻防も、中国の圧倒的勝利に終わるという内容を伝えております。

 また、インドの輸入統計を見ると、中国の高い影響力と中東を中心とした資源国への貿易依存が目立ちます。高いGDP成長率を維持するなか、貿易赤字の拡大とエネルギー供給源を確保に苦しむインドは国家戦略上最重要視していたアフガニスタン市場アクセスの政策も振るわず、「メイクインインディア」を中心とした内需の喚起に今後集中していくことになるでしょう。そして、エネルギー問題については中露同盟に依存していくことになり、中国がトルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン等の中央アジアから引いているパイプラインを一部インドに回すことで対応していくことが予想されています。

 これは中露が進めるユーラシア経済統合と上海協力機構の協調路線に重なる動きであり、中国の習国家主席は印モディ首相に対し、「一帯一路」構想への参加の呼びかけを行っています。そして、中国主導で進めるAIIBにおいては、提案事業が審議検討段階に入っているなか、インド国内のインフラ開発を多数盛り込みました。これは昨年6月のインド財務大臣による「財源に限界があるなかAIIB融資の活用機会を模索する」という発言と一致し、両首脳間ではインドが中国の「一帯一路」構想に加わるという大筋合意が出来ているものと推測しています。


中国の「一帯一路」構想図
参照:https://www.merics.org/en/merics-analysis/infographicchina-mapping/china-mapping/

 南アジアはいま大きな変革期のなかにいます。インド一強時代は間もなく終焉を迎え、アフガニスタン市場アクセスは本年をピークに中国が積極投資を開始することになり、中央アジアと南アジアの融合が図られて行くことになるでしょう。そして多くの利害が一致する中露が主導し、インドを支配下に置いたうえで、政治経済の安定秩序が図られ、それは域内においてはSAARCの価値低下に繋がります。カシミール問題に起因する印パの強い緊張関係で延期となったSAARCの次回会合の日程が未だに決定していないなか、上海協力機構には本年、インドとパキスタンが加盟することになっています。中露の包囲網が高まっており、両国に手綱を引かれる形で、南アジアは2017年、極めて厳しい試練に向き合うことになるでしょう。



Afghanistan by Asian Development Bank on Exposure

2017/01/05

手綱引かれる南アジア(中)中国パキスタン経済回廊CPECは勢力関係の縮図

 中国とインド洋をパキスタンを経由して結ぶ「中国・パキスタン経済回廊(CPEC=China Pakistan Economic Corridor)」を通った積み荷が2016年11月13日、初めてスリランカのコロンボ港を経由し、アラブ首長国連邦のドバイに向け出港しました。CPECは中国の「一帯一路」構想における中心的な役割を果たし、その出口に当たるバロチスタン州にあるグワダル港周辺は中国による厳重な警備体制が敷かれています。CPECにおいて中パの思惑はエネルギー政策の一点で合致しています。近い将来、米国を抜き世界第三位の人口に躍り出るパキスタンが待ち受けている深刻な電力・エネルギー不足をCPECによって解消し、一方、中国側はマラッカ海峡、南シナ海を経由せずに中東や中央アジアのエネルギー資源を確保出来るという両国のメリットが強調されたものとなり、英国からの独立以降、域内での影響力を誇示するインドを孤立させるために、中国は長期間に渡り、パキスタンとの有効な外交関係を築き、また、特に2000年代に入ってから多額の外国直接投資を行ってきました。

CPEC建設計画概要
参照:http://www.siasat.pk/forum/showthread.php?412555-CPEC-Map-and-details

 総投資額(予算)460億ドルのうち、約330億ドルを石炭・火力、水力、太陽光、風力発電等のエネルギー分野に投下資本され、また、今回開通したのは、なかでも治安が比較的良いとされる最東ルートとなり、首都イスラマバードからラホールを経由し、パキスタン最大の都市カラチ近郊を通るものとなります。今後はアフガニスタン国境沿いルートでの建設も進むことになるでしょう。


※ナショナル・ジオグラフィック提供のCPECの動画。13:39から圧巻の映像となります

 同時に注目されるのは約60億ドルを鉄道建設計画に当てられていること。2016年12月2日のthe Diplomatの記事"Trans-Himalayan Railroads and Geopolitics in High Asia"によると、ヒマラヤ横断鉄道の計画が検討されており、CPECの一部となる世界で最も標高が高いカラコルム・ハイウェイが開通している地点に併設にされるものとなります。既にパキスタン鉄道がその鉄道路線計画図の発表を行っており、最終的には、先日、中国と英国を結ぶ貨物列車が運行したアジア横断鉄道と新疆ウイグル自治区にて支線化され、中国、南アジア、中央アジア、ユーラシア、欧州と張り巡らされる鉄道網の一部となるでしょう。その他、南アジアでは東西を結ぶインフラとしてBCIM経済回廊(BバングラデシュC中国IインドMミャンマー)とBBIN経済回廊(BバングラデシュBブータンIインドNネパール)の創設が構想されており、後者は巨大経済圏との融合を恐れる人口75万人のブータンが拒否の姿勢を貫いているものの、インドへの水力発電での売電を経済成長の柱としている同国は中国に対抗するインドに説得される形で最終的に協定に締結することになるでしょう。

中印の域内FDI残高比
参照:http://www.cfr.org/economics/economics-influence-china-india-south-asia/p36862

 1947年の英印の解体及びインド、パキスタンの独立以降、域内では印パを軸にした二項対立のもと、多くの民族・宗教紛争が見られ、長期に渡り、経済開発が着手出来ない状態にありました。一方、中パ経済回廊CPEC構想が持ち上がった2000年代以降、中国は域内構成国に対し、開発ドナーとして、また貿易パートナーとして多くの投資を行い、影響力を高めてきた背景があります。経済的観点では、外国直接投資及び貿易額でその内容を見ることが出来ます。上記グラフは中印の外国直接投資残高比となりますが、残高比ではほぼ均衡するバングラデシュでさえ、貿易額では中国優位の状況になり、南アジアにおけるその高い影響力を伺い知ることが出来ます。



 その中国にも不安視していることがあります。総投資額(予算)460億ドルとなるCPEC沿いにおける治安悪化であり、それは特に中国側の入口に当たるカシミール地域、そして出口に当たるバロチスタン州におけるイスラム過激派によるテロ活動や分離独立運動の高まりであり、それは安全保障への脅威のみならず、投資の減退予測が見込まれるものとなります。またバロチスタン州においてはインドがその分離独立運動に手を貸しているとされ、その観点から、パキスタンが牽制する「カシミール」とインドが牽制する「バロチスタン」は中国にとってトレードオフの関係にあります。

CPECルート拡大図
参照:http://www.indiandefencereview.com/news/what-is-china-pakistan-economic-corridor-all-about/
中国新疆ウイグル自治区カシュガルを起点とするCPECは、インドの「ジャンム・カシミール(J&K)州」に程近いパキスタンの「ギルギット・バルティスタン州」を通過するルートを取り、それら地域はアザド・カシミールと合わせてパキスタン実効支配地域(POK=Pakistan-occupied Kashmir)と呼ばれ、インドの実効支配地域であり尚且つ、カシミール分離独立運動が1947年以降絶え間なく続くJ&K州でのカシミール紛争の影響を強く受けます。また、グワダル港があるバロチスタン州はパキスタン国土の4割を占めるものの、人口は5%に過ぎないためパキスタン政府から冷遇されており、グワダル港での収益やアフガニスタンとの国境沿いにある石炭や天然ガス等の豊富な資源の権益を州により還元するよう反政府運動が活発になっています。

 また、同州北部最大の部族であるパシュトーン人は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて英国との間で行われたアフガン戦争の結果、その居住地がアフガニスタンとパキスタンの2つに分断され、それは主にパシュトーン人を支持組織とするタリバンのテロ活動温床地域となっています。2016年には州都クエッタにおいて、反政府勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」による連続テロ行為があり、合計数百名の死者に上りました。複数ルートが存在するなかで、CPECが最東ルートを取った理由はこの地域の治安悪化の影響を最小限に留めるためであり、然しながら、グワダル港がある以上、同州の治安正常化は中国・パキスタン両国にとって至上命題になるでしょう。

グワダル港(パキスタン)とチャバハール港(イラン)
参照:https://www.pace.pk/iran-india-chabahar-afghanistan/
中国が租借したパキスタンのグワダル港に対抗するため、インドはイランのチャバハール港の港湾開発への大型投資の協定を昨年締結し、インド洋における中印の対立は一層激しいものになっています。域内投資や開発ドナーとして中国が優位に進めているなかでインドがその動きに強く対抗する理由はエネルギー供給源となる中央アジアに隣接しているアフガニスタンへの市場アクセスのルートを確立するためであり、国境を面していない以上、海上ルートしか存在しません。

 2050年までにはパキスタンが現在の1億8000万人から倍増の3億5000万人に、インドは12.5億人から16億人に到達し、また、中国を抜いて世界最大の人口となり、同時に、絶対的なエネルギー不足に陥ることが現時点で危惧されています。しかしながら、僅か72kmの距離の差に過ぎないグワダル港とチャバハール港でのアフガニスタン市場アクセスに関する中印対立も中国優勢が伝えられています。その鍵を握っているのはイラン。欧米が経済制裁を課すなか、将来的なエネルギー不足を見込み同国の石油や天然ガス資源の供給ルートに投資を継続してきた結果、いま現在、イランの最大の貿易相手国は中国となっているなか、イランとインドの協定は港湾開発の投資を主としており、相互依存を深めるイランが中国との実利経済を反故にしてまでインドに貿易上、加担する理由を見つけることが困難であるためです。輸出品目の約8割を石油や天然ガスで占めるイランの輸出統計は下記となります。


 先日、パキスタン政府が中国が租借しているグワダル港をロシアにも開放する旨の発表を行いました。2001年、中国、ロシア、中央アジアによる国際機関としてスタートした上海協力機構はその後、規模を拡大し、2017年にはインド・パキスタンの加盟が見込まれています。またオブザーバー国となるイランも近い将来加盟することになるでしょう。一方、ロシアと中央アジアの経済同盟であるユーラシア経済連合は、上海協力機構と「大ユーラシア・パートナーシップ」構想を掲げ、その南アジアでの試験的な取り組みをグワダル港の中露共同での港湾開発に置きました。インドが主導してきた南アジアは中国の「一帯一路」構想とロシアのエネルギー政策によって、将来的には中露の枠組みに取り入られることになる形でその経済連合であるSAARCは形骸化していくことになるでしょう。

2016/12/30

手綱引かれる南アジア(上)歴史考察とカシミール問題

 ヒマラヤ山脈を切り開き、チベットと新疆ウイグル自治区から、前者はネパールを後者はカシミール地方を経由し、インド洋に出る鉄道が建設される。バングラデシュとミャンマーの国境がシームレスになり、東南アジアと経済回廊で接続され中国と合わせて人口30億人マーケットが誕生する。中央アジアからのエネルギー・パイプラインがアフガニスタンを経由し印パに届き、同時にインフラが整備される。スリランカは港湾開発が積極的に行われ、東アフリカや中東にもリーチ可能な第二のシンガポールになる。大半が現段階で工事着工、予算承認、プロジェクト合意の状況となっており、これが10年、20年後に描かれている南アジアの未来予想図となります。そして、これらの実現可能性は中国の「一帯一路」構想とロシアのエネルギー政策に大きく依存する形となり、南アジアは単体の地域経済圏として生き残ることは困難であると考えています。

 マレーシアのマハティール氏、シンガポールのリー・クアンユー氏等、強烈なリーダーシップを発揮することで、1997年のアジア通貨危機からの回復、そしてASEANという経済地域の発展的成長、アジアのみならず、いままさに世界経済のエンジンとなりつつ有る東南アジアとは異なり、南アジアは17世紀、イギリス東インド会社の統治から始まる英国の植民地政策の影響を今尚、色濃く受けています。1947年、英国はイギリス領インド帝国(以下、「英印」)の解体に合わせて、英印にあった500以上の藩王国に対して、インド若しくはパキスタンどちらかへの帰属を求めることになりました。その両国は「印パ戦争」という形で激しく軍事衝突し、1971年の第三次印パ戦争は、「東パキスタンの独立」、すなわちバングラデシュ国の誕生に繋がり、核保有を行いながら、印パは軍事的に強く牽制し合っています。

 印パ以外にも多くの内戦、民族紛争の歴史を南アジアでは見ることが出来ます。記憶に新しいところでは、1980年代に始まったスリランカでの内戦。北部のタミル人に対し抑圧的な政策を取ったスリランカ政府との間で激しい衝突が約20年以上あり、特に内戦が激しくなった2000年代では当時の大統領ラージャパクサ政権と距離が近い中国の支援を受け、両国の関係は緊密となりました。結果として中国はコロンボの港湾開発を一括受注し、「一帯一路」構想下、スリランカはインド洋における最重要拠点となっています。ネパールでも同様、1990年代から10年以上の内戦があり、市民側を指揮した中国共産党毛沢東主義派である「マオイスト」からは「人民戦争」と呼ばれ、ネパールの現政権はマオイストのプラチャンダ氏であることから今尚、中国の強い影響を受けています。2015年9月から五ヶ月間に亘って行われたインドによる経済封鎖においては、石油ガスの提供と開港の協定が締結され、中国による対ネパール投資が加速されました。

 域内総人口17億人、うち12.5億人をインドが占める南アジアでは脱インド依存が予てから積極的に行われております。実質、インドの保護国下にあるブータンを除き、バングラデシュパキスタンスリランカネパールモルディブでは既に最大の貿易パートナーが中国になっており、また南アジアの域内経済協力協定であるSAARCに最後に加盟したアフガニスタンも中央アジアと接続される唯一の南アジアであり、且つ新疆ウイグル自治区に隣接される国であることから近年、ロシア・中国との経済連携を強化しています。各国の経済状況に関しては、世界銀行の「南アジアが世界一の急成長地域に 成長持続には民間投資の喚起が必要」を参照して頂きたいが、内需をより重視することで保護貿易に傾倒し、且つ南アジアの構成国に対して平等外交を行わないインドに対し、開発ドナー国として構成国への影響力を高める中国、そして人口増大伴うエネルギー不足が印パ内で危惧されるなかで、その供給源となるロシアによる二国によって、この地域の未来は支配されていると言っても過言では有りません。

 南アジアの紛争の歴史はヒマラヤ山脈麓、印パにまたがる地域であるカシミールに集約されるでしょう。英印の解体に伴い、インドに帰属したカシミール藩王国は王がヒンズー教徒、国民がイスラム教徒となり、宗教上のねじれが生じたままいまのカシミール紛争に繋がっています。特に、インドの実効支配が続く「ジャンム・カシミール州」では国境沿いでパキスタンとの数多くの軍事衝突が起きており、特に今年はカシミールの分離独立組織の青年ワニ氏の殺害に起因する衝突は2008年以来、最大の死者を生みました。イスラム過激派やカシミール分離独立派によるテロ活動が終わることは有りませんが、核の行使に繋がる「第四次印パ戦争」は起こることはないと言って良いでしょう。南アジアは中国とロシアによって手綱が引かれているためです。それはカシミール地域を通過し、インド洋に出る中国・パキスタン経済回廊CPECも例外では有りません。

2016/11/17

ネパール記(終)「レクサス」と「オリーブの木」のど真ん中を駆け抜けて

 11月にパキスタンで予定されていたSAARC閣僚会合はカシミールにおける印パ間の緊張が高まった結果、日程未定のまま延期となり、そこで注目を浴びたのが10月にインドのゴアで開催されたBRICS会議。中国の習国家主席とインドのモディ首相による会合が行われました。今回のBRICS会議はBIMSTECと呼ばれるベンガル湾の周辺国の会議も合わせて開催され、オブザーバー国としてネパールも招待されておりました。会合終了後、中国・習国家主席、インド・モディ首相、ネパール・プラチャンダ首相の三者が空港にて鉢合わせしたことが現地の新聞記事の一面となり、これを見たネパール経済界の中枢にいる友人が「彼(プラチャンダ)は相当クレバーだね」と僕にこぼしたその言葉に、中印に挟まれた内陸国の置かれている立場が現れているような気がしています。

2016年10月17日、現地新聞一面

 ネパールは建国以来、政治経済ともにインドの影響を受け、時として内政干渉として巨大な圧力が加わります。特に、2015年は苦難の一年となり、4月の震災に加え、9月から五ヵ月間に亘って行われたインドによる経済封鎖。親中国、反インドの姿勢を頑なに崩さない理想主義者の前オリ首相は経済封鎖の解除に寄与したものの、短命内閣に終わり、退陣を余儀なくされました。代わって内閣を率いたのが内戦時の指導者の一人となる中国共産党毛沢東主義者「マオイスト」のプラチャンダ氏。この国におけるマオイストは親中でも反インドでも、反中でも親インドでもなく、バランス外交の実利主義派。ネパール有利の局面を作り上げるために、時にインドに傾き、時に中国に靡く。中国からFDIを引き出せば、自ずとインドもFDIを出す。あたかもその駆け引きを楽しむかのように。

何度も読み返した"The Lexus and the Olive Tree"

 僕が初めて原著で読んだ本にNY Timesの名コラムニスであるトーマス・フリードマン執筆の「レクサスとオリーブの木」があります。筆者は、愛知県豊田市にあるほぼ無人化されたレクサスの製造工場を「技術革新」の一面であると驚嘆を持って受け入れる一方、世界では未だに家と家の間に生えた一本のオリーブの木の所有権を巡って争いが起きている「土着の文化」が存在し、この相反する二つの文化は反発することなく、長い歳月をかけて融合していくであろうというのが筆者の提言でした。以来、僕はこの「レクサス」と「オリーブの木」の真ん中という第三の世界を探し求めるという長い旅が始まります。2007年に短期駐在を要するネパールのプロジェクトに自ら手を挙げたのもこの旅の一環でした。彼らの熱量の卒倒された僕は最後に「これからは君たちの時代。いつかまた一緒に仕事しよう」と涙を浮かべながら話したことを今でも懐かしく思い出します。

2007年駐在時、常に原点回帰の一枚

 帰国後はただひたすら自分のキャリアを積みました。そのピークは2011年の東北大震災及び福島第一原子力発電所事故に伴う放射能汚染から始まる数年間。当日、北海道の十勝帯広にいた僕は急遽呼び戻され、以来、全ての休みを返上し、仕事に没頭。産業における世代交代が起き始めたのもその頃。全ての判断に迅速さが伴う内容となり、人間的体力を要する多くの重い事案を任されるようになり。当時30歳弱。正義感も有ったのでしょう。宿命と受け入れ、全力で向き合いました。しかし、その正義感故なのか、衝突する事項も相当数あり、一部で強烈に疎まれる存在でも有りました。今思えば「もっと上手く立ち回れたのかな」と感じることもありますが、それはただ回想するだけ。多くの動きがあるなかで、最終的には与えられた職を全て差し出し、「この環境から解放して欲しい」と。

※「一帯一路」構想図

 実は重い事案を任される前に一点、各所と交わしていた内容があります。それは僕の予てからの夢であり、目標でもあった「アジアでの農場運営」を任務終了後に確実にやらせて貰いたい、と。食品はグローバルで動く産業であり、それは発展途上国優位の市場となります。「高かろう良かろう、安かろう悪かろう」が成立せず、「土着の文化」である「オリーブの木」が「技術革新」である「レクサス」を飲み込みながら加速度的に増えていく壮大なマーケット。その拠点に選んだのが、愛着のあるネパール。一方、何から着手すれば良いのか分からない僕は、2007年当時の元部下15名の故郷を二年をかけて回りました。そのときに強く感じたことは「良い素材を持っているのに、生かし切れていないな」と。こうやったら上手く行くんじゃないか、モノに価値はこう付けるんだぞ等、日本で培った全ての知恵を現場に落とし込み。そして、全くと言って良いほど手が加えられていない産地と豊かな水は周囲にある山々に射影され、他の何よりも美しい。

首都カトマンズの環状道路「リングロード」の鉄道路線計画図

 東南アジアの経済成長は南アジアに多くのポジティブな影響をもたらしました。それは中国インドに挟まれた内陸国であるネパールも例外になく。僕がいた2007年と比すると、それは天と地と言っても過言ではなく、記憶でも記録でも僕にそう伝えてくれます。近い将来、中国とインドはネパールを介して陸路で結ばれます。また、南アジアは東南アジアと接続され、そこに30億人マーケットが誕生します。歴史的に見て、内陸国であるという地政学上の不利な条件が、現代においては物流のハブになるという有利な条件に転じます。ネパールの首都カトマンズの環状道路である「リングロード」は、中国とインドを結ぶ鉄道計画に合わせて、高架の環状線の鉄道建設計画が持ち上がり、現時点で既に複数の中国企業が入札に関心を示しています。将来的には恐らくAIIB案件になるでしょう。

空から見下ろすヒマラヤ山脈、ここから先がチベット

 もちろん全てを肯定することは困難と言えます。熾烈な競争、中印の存在、第三国である難しさ、充分ではない事業環境、不確定要素の高い将来、宗教文化面、アイデンティティの確保等。特に、日本人としてどうあるべきかについては強烈に苛まされます。しかし、悩む暇を与えれくれないほど、この国は成長し、模範解答なく、世界の在り方は時代とともに変化し続けます。それに合わせて自分を成長させ、変化に耐え得る人間になることが生き抜くための前提条件且つ第一条件になるのでは、と。だからこそ、「レクサス」と「オリーブの木」のど真ん中を見つけたような気がしたこのネパールという地を全力で駆け抜けて行きたいと思います。

ハッピーダサイン2073での一枚

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ネパール記目次
(1)ヒマラヤだけに非ず、ネパールの魅力と発展の可能性
(2)10年前の経験と10年間の変化
(3)トリブバン国際空港の限界と中国資本による空港戦略
(4)中印が同居するカトマンズ・ナイトライフ
(5)紅茶を探し求めて500キロ、マイクロバスの旅(上)
(6)紅茶を探し求めて500キロ、マイクロバスの旅(下)
(7)雨季の終わりを告げるダサインと家族の宗教的価値
(8)カースト制度とエスニシティの考察(上)宗教の習合
(9)カースト制度とエスニシティの考察(中)対印関係の歴史
(10)カースト制度とエスニシティの考察(下)現代社会での役割

2016/11/06

ネパール記(10)カースト制度とエスニシティの考察(下)現代社会での役割

 2015年4月25日、日本時間15時頃に流れたネパール大地震発生のニュース、現地映像を見た瞬間、僕は思わず声を失いました。「これはカトマンズ壊滅じゃないのか・・」と。夜にかけて徐々に被害の内容が具体的な情報として入って来ます。また中印両国ともにすぐさま援助用の軍用機を出し、ここでも繰り広げられる中印によるネパール争奪戦。インターネット上では、Facebookが恐らく自然災害で初めてその安否確認を行う"Safety Check"機能をスタート。僕はモニターに釘付け。最終的な被害はカトマンズ以北を中心に死者9,000名近くとなりました。ネパール北部を中心に家屋の倒壊があり、今尚、震災復興に向けた長い歳月を要する取り組みが行われています。

生存が確認された場合、右にある"SAFE"ボタンが表示されます

 甚大な被害が発生したものの、僕がふと感じたことが一つだけあります。食糧や医薬品を中心とした物資の配給が、物流や政治的事由から大幅に遅延しているにも関わらず、被災者による略奪行為が殆ど起きなかったということ。これは後に起きるインドによる経済封鎖において石油が輸入されてこないなか、その限られた配給に市民が正しく並ぶ姿にも重なります。ネパールという国は宗教的文化的民族的由来から、ある一定の「秩序・統制」が図られているのではないか、というこれまでの経験に基づく推測であり、その一部にカースト制度と民族間コミュニティによるポジティブな影響があるのではないかと思っています。

幸せを願う五色旗「タルチョ」、仏教由来の文化が首都カトマンズで見られます

 ネパールではヒンズー教徒の「バフン(司祭・僧侶)」、「チェトリ(王族・武士)」が上位カーストとなり、カトマンズ盆地を中心に仏教を信仰する「ネワール族」が優位民族となります。そして、この「バフン」「チェトリ」「ネワール」による社会支配が進み、前者は主にネパール広域による政治体制、後者は主に首都カトマンズでの経済環境で多くの影響を及ぼし、人口構造比では合計約4割にしか過ぎないこの三集団が、国家公務員の殆どを占めています。特に人口比率では約5%のネワール族が持つネパール経済への影響は計り知れず、彼らはインドとの交易業務を行う中心民族となります。それは何故か。カトマンズに高度な都市文明を築いたマッラ王朝の民族という歴史的理由のみならず、カースト制度が関係してきます。

周囲を標高2,500~3,000mの山々に囲まれた、ネワール族の居住地「カトマンズ盆地」

 カーストの身分制度自体は変わらないものの、その身分が社会において果たす役割が時代とともに変化するためです。主に仏教を信仰するネワール族もまたネパールにおいてはヒンズー教の影響を受け、独自のカーストを持ったうえで、ヒンズー教のカーストに組み込まれることがあります。「商人」であるネワール族は「バフン」「チェトリ」に継ぐ第三カーストに該当するも、現代社会においては、この「商人」に該当するカーストの社会的地位が高まっています。これが逆の事象で社会問題化したのが、今年春先、印ハリヤナ州で起きた「ジャート族」の暴動。主に「農民」のカーストであるジャート族は商人と同じ第三カーストに位置付けられるものの、農民の社会的地位が低まった結果、貧困となり、政府がアウトカースト・ダリット(不可触民)を教育機関の入学や公務員採用で厚遇するOBCと呼ばれる制度を「ジャート族」にも適用させることを求めました。カースト制度自体は変わらないものの、ヒンズー教圏においては、その現代社会における階級の確認が必要となります。

カトマンズで見られる職業カーストが働く光景

 一方、現代社会において変わらないものとして挙げられるのは、アウトカースト・ダリットに対する抑圧的な社会構造。その主な職業に、皮革、屠畜、清掃等があり、職業カーストと呼ばれ、それは出自において定まっています。物乞いの殆どは不可触民であり、なかには手足がなく、見るにも耐えない残酷な姿をしている者もいます。また男女格差や識字率の低さは深刻で、特に後者は南アジア最低レベルの数字となっており、これは、特筆すべき資源がなく、また地理的条件から経済的に貧困であり、学校に通えない子供が多く存在するからでしょう。国民による幅広いマオイストへの支持というのはこれら大小様々な不平等社会に起因し、抑圧的な社会からの解放を求めました。男女格差については、招待された食事の席で男性が常に先に食事を済まし、その間、女性は給仕に徹する光景を見るたびに痛感し、一方、それを違和感なく受け入れ、文化の尊重と、女性に対し、日本と同等の考え方を要求しないよう細心の注意を払う必要があります。

英語を話す現地の小学校低学年の生徒


 カースト制度については多くの外国人を苦しめるものになるでしょう。それは歴史とともに構造の変化が行われ、また、地域やコミュニティによってその在り方が異なります。近年、下位カーストでも富裕層が出現しておりますが、確率論では引き続き低く、王権を中心に見た支配・被支配の構造が社会において普遍的な役割を維持しています。それは民族によって階級が変わってくるものでもあり、そのなかで多民族は一つの国家で共存し合っています。一方、2006年の内戦終了から約10年が経過したいま、この国に平和が訪れ始めています。内戦に苦しんだ世代は自分たちの子供により良い教育機会を与えようと努力をし、子供たちは小さい頃から必死に英語を学んでいます。親の仕事を手伝っている貧困層の子供でもその合間に英語のテキストを開き、宿題をしています。充分ではないものの、ネパールという国に「教育」という概念が幅広く普及しつつあるのを見ると、それは「自由」と「選択」を与える新しい国家に変わっていくのではないかという期待を僕に抱かせてくれます。

 尚、本記、カースト制度とエスニシティの考察(上)~(下)については、あくまで筆者独自の見解となること、予めご了承願います。


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(9)カースト制度とエスニシティの考察(中)対印関係の歴史
(終)「レクサス」と「オリーブの木」のど真ん中を駆け抜けて

2016/10/31

ネパール記(9)カースト制度とエスニシティの考察(中)対印関係の歴史

 2015年9月、インド政府は非公式にネパールとの国境を封じる「経済封鎖」を実行しました。新憲法制定に対する内政干渉の一環で行われ、内陸国であるネパールは以降、約5ヵ月間に亘り、石油やガス等の輸入が為されず、同年に起きた大地震とともに経済に対して多大なる影響を及ぼしました。インド政府は国境を面するネパール南部「タライ」平原に住む「マデシ」の権利要求をネパールに対し行い、憲法改正を促すこととなりました。反インドの姿勢を崩さない前オリ首相が最終的には一部改正に応じることで2016年1月に経済封鎖の解除に繋げたものの、国内では若者を中心に「BackOffIndia(インドに帰れ)」キャンペーンがSNS上で一斉に行われ、ネパール国内の反印感情は今まで以上に高まりました。

サッカー南アジアカップ決勝にてインドをPKで倒し、狂喜する若者

 ネパールとインドの対立関係は、18世紀、アジアの香辛料貿易を行ったイギリス東インド会社の統治時代後期にまで遡ります。当時のインドは数百の王朝による群雄割拠の時代、支配・被支配が繰り広げられる王朝制度がヒンズー教由来の階級思想をより強め、エスニシティ(民族)の優劣の序列が次第に決定されていきます。英国から赴任をしてくる総督がその統治に腐心するほど多くの土着民族が同居するため、貿易業務の確立を超えて軍隊やそのガバナンスの強化に乗り出す必要がありました。その一つが、ヒンズー教の生活規範になるマヌ法典に規定される身分制度に過ぎなかった「ヴァルナ」の積極的利用となり、その呼称は先にインドに進出していたポルトガル(語)より「カースト」と呼ばれます。

参照元:http://web.joumon.jp.net/blog/2007/09/316.html

 当時は、イギリス東インド会社による王朝への統治、そして王朝による市民への「カースト」統治の二重構造となり、土着の文化とその管轄範囲の広域さが故、イギリス東インド会社は王朝に多くの権限を与える二重構造のみ、その統治が可能であったと言われています。その王朝の中心に君臨したのはデリーを首都とするムガル帝国。一方、そのムガル帝国の存在を脅かす国がありました。ゴルカ・ネパール王国です。王国の支配は北インドにまで及び、デリーに隣接するアワド朝まで征服する勢いとなりました。インド統治への影響を恐れたイギリス東インド会社は大量の傭兵(セポイ)を従え、ネパール王国に侵攻、軍の勢力をカトマンズにまで後退させることに成功します。




いまのネパールの領土は1815年に英国と締結された「スガウリ協定」によって定められ、北インドやシッキム、ダージリンを譲渡することとなり、英国の保護国下に置かれました。その一連の戦いのなかで山岳民族として戦闘能力の高さと勇敢さを変われ、ゴルカ・ネパール王国の軍隊はイギリス東インド会社の傭兵となり、後に英国の軍隊に加わる「グルカ兵」となります。また「グルカ兵」が重宝されたのは、仏教の影響を受けるため、インドのヒンズー教徒より宗教上の制約が少なく、文化的柔軟性があったことが挙げられます。そして、イギリス東インド会社の統治に不満を多く持った群衆が立ち上がり、「セポイの乱」が起きることで状況は一変。最終的にはムガル帝国を中心とするインド側はその乱に敗れるも、イギリス東インド会社統治の終焉を呼び、後の英国からの独立に繋がる重要な分岐点となります。その「セポイの乱」にインド・ムガル帝国側ではなく、イギリス東インド会社側に加わった当時唯一の独立国がネパール王国となり、その歴史が現在のインド・ネパールの対立関係の一つの要因となり、インドによるネパールの支配欲を助長したと見ています。

カトマンズのネワール族地区にある仏教寺院

 では、ネパール王国の前身となったゴルカ王朝はどのような歴史に基づくのか。なぜネパールを統一出来たのか。それはカトマンズ盆地を中心に繁栄するマッラ王朝を征服した18世紀以降、その影響力が拡大したと言われています。そのマッラ王朝は高度な都市文明を築くカトマンズ盆地の民族「ネワール族」の王朝であり、ゴルカ王朝はその文化を受け継ぎ、首都をカトマンズに置きました。そして、そのネワール族はヒンズー教に影響を受けた独自の仏教を信仰する民族であり、カトマンズに今尚強い影響を及ぼしています。この観点から、いまのネパールは上位カーストである「バフン(司祭・僧侶)」、「チェトリ(王族・武士)」と、エスニシティ(民族)である「ネワール」の三つが支配する社会構造になっています。


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(8)カースト制度とエスニシティの考察(上)宗教の習合
(10)カースト制度とエスニシティの考察(下)現代社会での役割

2016/10/26

ネパール記(8)カースト制度とエスニシティの考察(上)宗教の習合

 2007年の春、ネパール駐在を迎える前にクライアントであるボスとともに臨んだ採用面接を今でも良く思い出します。カトマンズ大学の成績優秀者20名を面接し、15名を採用する作業。一人当たり30分×20人の10時間を僅か一日でやり切るという過酷な内容。当時のネパールは約15年近く続いた「人民戦争」の内戦が終了した翌年。衆愚政治に走る国王側とそれを解放する「マオイスト」による抗戦であり、一説では国土の約8割を掌握したとされています。マオイストはカースト制度からの「解放」も合わせて謳っており、それは経済の自立が困難であり、貧困に喘ぐ当時のネパールの国民の大多数の支持を得ていたのであろう、と今になって思います。そして、当時のマオイスト側の指導者が現在のネパールの首相プラチャンダ氏となります。

仕事の手伝いの合間に勉強する現地の小学生

 カースト制度というのは何なのか。この国に関わるようになってから、幾度も考えました。そして、ようやくその最初の答えが分かってきたような気がします。それは「ネパール人が思っている以上に社会において機能しているヒンズー教由来の身分制度」であり、且つ、「家族主義のなかで数百年数千年続く古来のコミュニティ」であるということ。例えばダサインのような祭事でそれらは次の世代に引き継がれます。カースト制度は「バラモン(司祭・僧侶)」、「クシャトリア(王族・武士)」、「バイシア(平民)」、「シュードラ(隷属)」となり、このカーストに入ることの出来ない身分を「ダリット(不可触民)」と呼びます。制度面では同じであるものの、ネパールでは前者二つを「バフン」「チェトリ」と呼び、それぞれ上位カーストに当たります。

ネパール南部では印デリーがその圏内に入って来ます

 カースト制度が非常に分かり難いのは主に二点。一つ目は身分制度の上位下位は長年の歴史のなかで決められたものであり、明確に定まっているものではないということ。二つ目はカーストの比較が厳密に出来るのは同一民族内であり、民族にも優劣(支配被支配)があるため、同じカーストでも民族が異なると社会において果たす役割が変わってくるということ。エスニシティはカースト制度のなかに組み込まれて議論がされがちですが、基本的には似て非なるものです。特にネパールにおいては、数十の民族が有るなかで、その系統として、南部は「インド・アーリア系」、北部は「チベット系」となっており、後者が信仰する主な宗教は、本来「カースト制度」が存在しないはずの仏教です。しかし、数百年の歴史を経て、仏教はヒンズー教の影響を受け、カースト制度が一部存在。その習合がこの国の特徴となり、固有の文化と言えるでしょう。

南部ではインドルピーの流通も盛んです

 幾つか事例を出します。ヒンズー教徒にとってアルコールの摂取は「宗教上禁忌行為」に近く(酔った状態では、肉の種類の判断が付かなくなるためという諸説あり)、子は親の前で、女性は男性の前でお酒を飲むことはまずありません。この傾向は特に南部で強まります。しかし、本来、アルコールを愉しむ仏教徒においても「禁忌行為」と取る民族があり、これは宗教由来ではなく、ヒンズー教の影響を受けた「文化由来」となります。また「チベット系」の民族が必ずしも仏教を信仰しているとは限りません。ヒンズー教に改宗した民族もあり、また同一民族のなかで住む場所や属しているコミュニティによって「ヒンズー教徒」と「仏教徒」に分かれる場合があります。ヒンズー教の祭事である「ダサイン」を祝う「仏教徒」もおり、その姿かたちは一つの物差しでは決して図ることの出来ない複雑さを持ち合わせています。

ダサイン後、帰省でごった返すバスのなか

 但し、「ヒンズー教」と「仏教」が習合するこのネパールにおいて、共通の文化が三つあります。一つ目は男系を中心とした「家族主義」であること。特に目上の者や男性に対する敬いの精神はとても強く、このような精神は社会において上位下位を作りやすくします。二つ目は同一カーストや同一エスニシティでグループを作ることが多く、それを超えたコミュニケーションが極めて少ないということ。例えば僕を媒介にしてそれぞれ別のカーストやエスニシティは交流はしますが、不在の場合の直接のコミュニケーションを避ける傾向にあります。三つ目は、「階級意識」がとても強く、上位の下位に対する支配意識だけではなく、中位の下位に対するものも存在するということ。これが文中、「ネパール人が思っている以上に機能しているヒンズー教由来の身分制度」と綴ったその理由となり、カースト制度に影響され、エスニシティでも同様の考え方が存在します。この三つに関してはインドと比較的同じものになり、絶対的経典を持たない土着信仰であるヒンズー教の強さと言えます。

南部ではこのようにインドとの国境線が目の前にあります

 周りの日本人に事業上、最大の障害を頻繁に聞かれますが、僕は迷わず「カースト制度」と「エスニシティ」を挙げており、正しく受け入れるためにも、歴史や文化、宗教、民族、これらの理解は必要不可欠となるでしょう。


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ネパール記目次
(7)雨季の終わりを告げるダサインと家族の宗教的価値
(9)カースト制度とエスニシティの考察(中)対印関係の歴史