2016/09/27

ネパール記(4)中印が同居するカトマンズ・ナイトライフ

 ヒッピー世界三大聖地、インド「ゴア」、アフガニスタン「カブール」、そしてネパール「カトマンズ」。自由と快楽を求めて多くの欧米人がこの地を訪れ、毎晩、酒と麻薬に溺れて行きます。そのカトマンズの中心地となる「タメル」地区では、彼らの雄叫びが音楽に合わせて協奏曲となり、深夜に至るまで騒音となってナイトライフを盛り上げます。金曜日の深夜になると、酒乱となった現地若者同士で殴り合いの喧嘩が見られ、それを数メートル範囲に一人はいる警察が棍棒で殴り倒します。まさに適切な国家権力の乱用。


 しかし、この街にはバンコクのような派手な夜遊びは有りません。これは恐らくカースト制度という数千年の歴史を持つ身分制度と男尊女卑の社会が、「ダリット(不可触民)」のようなアウト・カーストとは日常的に触れることを暗黙の了解で認めない、そんな背景があるのではないかと勝手に推測しています。また、これは部族によって大きく変わりますが、アルコールの摂取も宗教上、禁忌的行為に近く、子は親の前で、女性は男性の前で酒を飲まない、この考えが一般化しています(当然、友人同士では自由)。この観点からアルコールに対する酒税が異常に高く、通常の物価は1/5以下にも関わらず、ビール等は日本とほぼ同じ値段、これでは余り飲む気にもなれません。さて、困った、やることがないカトマンズの夜。そんなときは札束握りしめてタクシーに乗り、目指すは一泊数百ドルするとある五つ星ホテル。



 ここの別のエントランスを潜ると見えてくるのは、


 そう、カジノ!ネパール人は入場規制がかかっているので、外国人しか入れず、また、あれだけタメルにいた欧米人ヒッピーもここにはいません。つまり中国人とインド人のみ。そんな場所は世界見渡しても恐らくカトマンズのカジノしかないでしょう。ここでは言葉は交わすことがなくても阿吽の呼吸で中印が同居しています。24時間営業の酒も食事も何でも有りの無法地帯。



 ここのカジノで注意しないといけない点は二つ。一つは中国人の熱狂っぷりに飲みこまれないこと。とんでもない金額を突っ込んでいます。もう一つは「ガヤ」を入れてくるインド人が必ずいるので塩対応で臨むこと。プレイ中に勝手にコインを横取りし、ベッドする輩がいるのでまずは冷静に取り返し、更に耳元で「このチキン野郎が」と言って来る輩に対しては徹底的に無視を決め込むこと。しかし、そうやって勝ったお金も「タメル」地区のダンスバーで泡のようにすぐ消えて行くのでした・・。


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(3)トリブバン国際空港の限界と中国資本による空港戦略
(5)紅茶を探し求めて500キロ、マイクロバスの旅(上)

2016/09/22

ネパール記(3)トリブバン国際空港の限界と中国資本による空港戦略

 内陸国であるネパールの経済成長阻害要因として真っ先に挙げられるのは物流面での課題。海上輸送に関してはインドのコルカタで陸揚げされ、約750kmを北上し、タライにあるビルガンジで輸入許可書を取得。更に約150kmを北上し、首都カトマンズに貨物が届けられます。そのための重要な基幹道路となるのが「ネパール記(1)」で説明を行ったマヘンドラ・ハイウェイであり、ビルガンジはその東西1,000kmのハイウェイのちょうど真ん中に位置します。一方、航空輸送については現状、ネパールの首都カトマンズにあるトリブバン国際空港のみ。

周囲を2,500m以上の山々に囲まれるトリブバン国際空港

 標高1,500mに位置するトリブバン国際空港はカトマンズ市街地から約6kmの距離にあり、辺り一面を山に囲まれた小さい空港、且つ、気流の変化が激しく離着陸が最も難しい空港の一つとされています。日本からの直行便はなく、タイ、シンガポール、マレーシア、中国(成都、昆明)等を経由し、6時間から最大20時間以上のトランジットを経てネパール入り。国際的な需要が少ないという理由のみならず、3,000mの滑走路一本且つ離着陸の困難さが伴い、大型ジャンボ機が入っておらず、施設の老朽化による整備と空港拡張の必要性が常に叫ばれています。2015年2月には「日本の空港 アジア進出 成田・三菱商事、ネパールで施設運営 官民で海外勢追う」と日本経済新聞での報道がありましたが、遅々として進んでおらず、市街地にある空港の用地買収が困難であると予想されます。

外から見た空港ターミナル


施設の老朽化が進む空港内設備

 更に深刻なのは航空貨物を取り扱うカーゴターミナルのキャパシティの少なさ。施設規模は1万㎡と成田空港の約1/20、那覇空港の1/6となり、また計画停電もある現況化、十分な冷蔵設備がなく、施設の約95%は常温管理となります。

カーゴターミナル入口

この問題が浮き彫りになったのは昨年ネパールで起きた大地震。税関手続きで救援物資が空港に山積みされていると一部報道がありましたが、世界中から送られてくる救援物資の量に耐えることの出来ないトリブバン国際空港のカーゴ施設がその根本的な原因となり、一方、陸上輸送されるにおいてもビルガンジからカトマンズへのハイウェイは基本的に山岳地帯の細い一本道であり、カトマンズ近郊は常に渋滞が発生、比較的整備されている南部「タライ」にあるマヘンドラ・ハイウェイとは異なり、首都カトマンズに至るまでの海上航空輸送共に致命的な物流面での問題を抱えているネパールとなります。

カーゴターミナル内倉庫(倉庫内は撮影禁止)

 決して打開策がないわけではありません。中国のネパールに対する影響力が近年高まっているなか、チベット鉄道の延伸計画が進んでおり、2020年過ぎには中国~ネパール間が鉄道で接続され、最終的には中国~ネパール~インドの三ヶ国が陸路で結ばれることになります。その過程において、先行して中国資本によるネパール地方空港の国際化へのアップグレードが行われており、第二の都市ポカラ、第三の都市ルンビニで既に工事が着工されております。しかし、それは大幅な航空輸送の環境改善には至らないでしょう。




 そのなかで、今年3月、ネパール政府より、ビルガンジ近郊、「タライ」にあるニジガド(Nijgadh)に新国際空港建設許可が下り、合わせて4月に用地買収が完了しました。4,000mの滑走路が複数並ぶ南アジア最大級の国際空港になる予定となりますが、問題は首都カトマンズから100km以上の距離にあること。しかし、そのニジガドへの路線は地理的条件から「恐らく」中ネを結ぶ鉄道計画に含まれており、合わせてハイウェイ整備も行われる。従って、必然的に中国資本による新国際空港となり、ネパールの空の玄関口のみならず、インドへの物流インフラの拠点にもなるでしょう。ネパールにおいて中国は空港建設も全てその支配下に入れようとしていますが、5年後、10年後は全く違った光景になるのでは、と僕は大きな期待を抱いております。


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(2)10年前の経験と10年間の変化
(4)中印が同居するカトマンズ・ナイトライフ

2016/09/17

ネパール記(2)10年前の経験と10年間の変化

 ネパールにおいて僕に優位性があるとしたら、10年前に半年間の現地駐在経験があること、そして以降、現在に至るまでの10年間の変化を体が覚えているということに尽きるのだと思っています。正確には9年前の2007年、大手自動車メーカーR&Dの元経営陣の一名がスピンオフをし、メカニカル・エンジニアをグローバルで育成する事業会社をタイとネパールで設立、ネパールでの現地マネジメントを任されることになりました。それと同時に勤めていた会社を退社し、独立。国としてほぼ完成されていたタイとは異なり、ネパールは誰にとっても未知の国。特に2007年は内戦終了翌年、その影響が色濃く残っており、「投資」という概念すらない本当の黎明期であったと思います。

 現地マネジメントと言えば聞こえは良いですが、とにかく人材集め含めて全てがゼロベースからの立ち上げ。そのなかで同時に走っているタイ支社とA/Bテストを行う切羽詰った状況でした。テストの内容は同レベルの偏差値を卒業した新卒の学生15名に対し、同期間、同教育プログラムを提供し、最終的に日本にエンジニアとして来る人数を競うという極めてシンプルなもの。ネパールではカトマンズ大学と連携し(追ってトリブバン大学)、成績上位20名を面接し、採用活動を行うことから開始。コンピューター中心の事業であるにも関わらず、電力不足で一日数十回停電する日々。ボスは「戦後の日本を思い出すよ」と常に笑顔でしたが、僕は環境適応だけで必死でした。それでも頑張れたのは15名の若者が途中から自分の弟のように映り、「世界の全てを知りたい」という貪欲な目、彼らの熱量に僕が負かされたからだと思います。

2007年、駐在最終日前夜の送別会

 A/Bテストの結果は当初の予想と真逆のタイが1/15に対し、ネパールが14/15。要因は幾つかあるかと思いますが、タイは既にエンジニアが活躍出来る環境にあったこと、日本に来る絶対的な理由が不足していました。ネパールは査証取得ですら困難のなか、外国で働ける機会を絶対に逃したくないという強い気持ちにあったと思います。この14名が正規ルートで日本にエンジニアとして来たネパール初のケース。その後、クライアントであるネパール支社は事業規模が10倍となり、メカニカル・エンジニアリングのオフショア会社として現地でも有数の企業へと変貌を遂げました。

2007年、カトマンズ「タメル」地区の風景

2016年、同地区の風景

 道路状態が改善されたこと、高層マンションが建ち始めたこと、ソーラーパネルが備え付けられたこと、排水設備が多少良くなったこと以外にはカトマンズの街並みにこの10年間特段大きな変化はありません。しかし、唯一大きく変わったことがあります。停電の頻度が圧倒的に減ったことです。



 ネパールでは今でも毎日「計画停電」があり、その時間帯は下記写真に見られるように最少電力での運用となります。




 10年前はこれが「ロウソク」でした。しかし、今はジェネレーターの普及により、計画停電下でも電力が通る状態になっています。また中国による水力発電所の投資建設ラッシュにより発電量そのものが増加し、供給可能な電力量、備蓄電力量も合わせて増加、10年前と比較すると一切のストレスを感じることもなく、またそれが数ヶ月単位で改善していくものですから、この国の電力問題もいつか解消されるのだと感じることが出来るにまで至りました。ネパールを再訪した2013年頃ではノートPC、タブレット、スマホ、ガラケー全てのデバイスの電池が一時的になくなっていましたが、翌年はタコ足配線があれば必ずどれかのデバイスは生き、昨年からは全てのデバイスが常時電池が残っているという電力供給環境が劇的に進化をしています。

ネパール記(2)の更新カフェ、WiFi環境も抜群です

 2006年の内戦終了以降、高いGDP成長率を維持するネパール、物価上昇率は2~3倍に対し、僕の元部下の給与は当時比約10倍、なかには新車のフォルクスワーゲンを首都カトマンズで乗っている者もいます。また、水力発電の設計は現地の大学で必修科目になり、現地起業家が飛び付く人気のビジネス。意気揚々とし、夢を抱く若者が圧倒的に増えました。一方、変わらないのは農村部。富める者はますます富み、貧しきものはますます貧しくなる、そこに大きなチャンスを感じながらも、この国は一体どこまで成長していくのであろうか、そんな期待をいまの僕に抱かせてくれています。


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(1)ヒマラヤだけに非ず、ネパールの魅力と発展の可能性
(3)トリブバン国際空港の限界と中国資本による空港戦略

2016/09/13

ネパール記(1)ヒマラヤだけに非ず、ネパールの魅力と発展の可能性

 中国とインドに挟まれる内陸国ネパール。多くの人は、「ヒマラヤ山脈」がある「エベレスト」の国であり、山岳地域という認識を持つでしょう。事実、ネパールの主要産業の一つは観光業であり、首都カトマンズではトレッキングの準備をする外国人ハイカーで賑わっています。


 一方、2006年の内戦終了以降、目覚ましい経済成長を遂げており、特に地理的条件から中印を結ぶ将来的な陸路の経由地であり、また南アジア全域に広がる物流網のハブになると言われています。その環境下、緩衝地帯ではなく、中印が衝突する場所になっているのもまた事実であり、結果として首都カトマンズの景色に特段大きな変化は見られないものの、両国、特に中国の対ネパール投資が近年急増しています。

※カトマンズの環状道路「リングロード」の一部。
標高1,350mに位置するため空が低く、紫外線も強いです

 国土面積は北海道の約2倍、人口は約3,000万人近くと決して小国ではありません。ネパールと国境を面するインドの三つの州の合計人口だけで約5億人、首都デリーまでもカトマンズから約1,000km程度の距離にあり、昨年、ネパール第二の都市ポカラと印デリーを結ぶバスの運送サービスが始まりました。そして、この経路、山岳地域を通りません。ここに多くの人が知らないネパールの魅力と経済の実態があります。

参照:http://www.earaidnepal.org/volunteer/maps.html
 
 上記地図はネパールの標高を示したものとなり、北に中国、南にインドが位置します。色分けされた一番上、標高2,500m以上を一般的に「マウンテン」エリア、真ん中二つ、首都カトマンズがある標高標高700m~2,500mを「ヒルズ」エリア、そして下二つ、標高700m以下、特にエメラルドグリーンで示す標高300m未満の「タライ」呼ばれるエリアには東西を結ぶハイウェイが約1,000km以上にも渡って建設されており、ネパール物流の大動脈且つ貿易の関所。この「マヘンドラ・ハイウェイ」の全ての面がインドと国境を接しています。


  建設中の道路も数ヶ月後には


 このような舗装状況になり、信号が殆どない国の基幹道路の一部となり、近い将来、西にデリー、東にダッカに結ばれます。「タライ」はネパール経済の生命線。また、上記地図と画像が示す通り、ネパールの国土のうちヒマラヤが占める割合は僅か1/3、残りの2/3は亜熱帯の国であり、特にタライでは夏の平均気温が40度を超え、水が豊富なネパールでさえ今年は異常気象から河川が完全に干上がりました。


 食も豊富です。農林水産省「ネパールの農林水産業概況」にもある通り、主要生産農産物の一つにサトウキビがあるなど、亜熱帯作物が多く、「ヒルズ」地域北部の寒冷地を好む作物と合わせて多くの農産物が路上販売されています。


 宗教は、国民の約八割がヒンズー教徒。残りの大多数を(チベット)仏教徒が占めます。地理的に「マウンテン」に近ければ近いほど「(チベット)仏教」が、「タライ」に近ければ近いほど「ヒンズー教」が信仰されています。多民族国家であるため、宗教上の戒律は厳しくなく、昨年の大地震での死者を弔う儀式では多くの犠牲者が北部(チベット)仏教地域に集中したにも関わらず、カトマンズのヒンズー教寺院で執り行われました。この二つの宗教は共存しながら且つ融合しているのがこの国の特徴でしょう。宗教多様性の根幹にあるのは、「タライ」ルンビニという都市に仏教の開祖ブッダ生誕の地があること。今尚、世界中の多くの仏教徒が巡礼をしにこの地に足を運びます。一番奥で座禅を組むアジア人女性はスマホで般若心経を読んでおり、現代社会を象徴していますね。


 この国に出入りするようになってから来年でちょうど10年。この記を通じて、ネパールの魅力と、課題山積のなか、その発展の可能性について述べて参りたいと思います。


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(2)10年前の経験と10年間の変化

2016/09/10

南アジアにおけるパラダイムシフト、中国の台頭が印パ関係の改善を呼ぶ

 アジア貿易を目的に設立されたイギリス東インド会社が17世紀、香辛料貿易を行うために現在のインドを行政管理し、その後、19世紀にイギリス王室に譲渡される形で誕生したイギリス領インド帝国(以下、「英印」)。その領域はインド、パキスタンのみならず、現在のスリランカ、ネパール、ミャンマーも版図としました。英印は直轄州と500を超える藩王国で構成され、藩王国は山岳地域を中心に民族的、宗教的に独立性のある王国をイギリスが間接的に統治することとなります。英印は1947年にインドとパキスタンの二国に解体され、全ての藩王国は両国のどちらかに帰属しなければならず、その帰属を巡って現在でも争いが起きているのがカシミール。カシミールの藩王国は住民はイスラム教徒が多いかったものの、王様はヒンズー教徒だったため、インドへの帰属することを選択します。

 帰属を巡る争いはインド・パキスタンの二国間で激しいものとなり、「印パ戦争」という形で今尚続く強い「緊張状態」にあり、その一つがバングラデシュ独立問題となります。現在のバングラデシュに該当するベンガル地方のムスリムによって構成された東パキスタンは、西パキスタンからの独立運動が高まったものの、その独立を阻止するべく、パキスタン軍が制圧を開始しました。難民がインドに流入するなかで、インドは東パキスタンの独立運動に介入し、それが1971年、バングラデシュの独立に繋がる「第三次印パ戦争」となります。17世紀におけるイギリス東インド会社の貿易業務、19世紀のイギリス領インド帝国の誕生、1947年の英印解体及びインド・パキスタンへの帰属、そしてこのバングラデシュ独立を受けて、南アジアの地図が固まります。インド、パキスタン、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブ、アフガニスタンの八ヶ国、SAARC(南アジア地域協力連合)と呼ばれる地域経済協力まで誕生し、ASEANの成功を受け、域内統合が進められています。

 しかし、その南アジアにおいて近年、中国のプレゼンスが高まっています。その背景にあるのは「一帯一路」構想。石油含む天然資源が豊富な中東・アフリカへの物流網を南シナ海を経由せずに一気通貫させる国家を上げた壮大なプロジェクト。その拠点をパキスタン、スリランカ等に置き、前者では約5兆円プロジェクトとなる「中国パキスタン経済回廊(CPEC)」、後者では湾岸開発を中国が一括受注をし、インド洋におけるハブ港への発展を支え、それぞれ政治介入を行っています。ネパールにおいては、チベット鉄道の延伸計画が進んでおり、2020年過ぎには中国~ネパール間が鉄道で接続され、最終的には中国~ネパール~インドの三ヶ国が陸路で結ばれることになります。また直近では中国の国有企業がバングラデシュの鉄道事業を受注し、首都ダッカから西に向かう鉄道網が構築されることになり、最終的にはインドと接続されることになるでしょう。

※「一帯一路」構想図
参照:https://twitter.com/srilankaglobal/status/764644006810775552

 そのような背景下、カシミール地域にも大きな変化が見られています。印パがそれぞれ領土の主張を行う当該地域では英印の解体以降、激しい衝突が今尚続き、両国の核保有にまで至っています。また、カシミールの分離独立を謳うテロリスト組織によるインドの空軍基地侵入により、二国間の和平会談も無期限停止の状況。それが中国の後押しによって近々、再開される可能性が高いと見られています。カシミール地域が中国パキスタン経済回廊の中国側での「入口」となるため、カシミール紛争激化による政情不安と投資の減退がCPECの進捗を妨げ、結果として「一帯一路」構想に大きな影響が出るためです。印パの和平会談をコントロール出来るほどの力を持つ中国は南アジアの経済成長に必要不可欠な存在となり、インドへの強い牽制を幾度となく行っています。

 中国が初めて議長国を務めたG20サミットが幕を閉じました。次の大きなステージは11月、パキスタンがホスト国を務めるSAARC会合と言われており、ブータンを除く全ての構成国が政治的また経済的に中国の影響を受けているなか、会合に臨む印モディ首相。中国、そして経済制裁が解除されたイランもオブザーバー参加します。南アジアにおけるパラダイムシフト、仕掛け人は中国であることは間違いないでしょう。